6.15時代の朝・日関係について

                                     康民華

 

私は、今日こうして日本のみなさんの前で祖国の統一問題についてお話できることを非常にうれしく思います。

私が所属しております祖国平和統一協会は、文字どおり統一運動を専門に行う団体でありまして、その対象となりますのは祖国の南北、それに世界各国に居住する同胞です。ですから、日本のみなさんとお話する機会はほとんどありません。そのようなわけで、実は今日この場で何をどうお話したものかと少々悩みました。

そこで、今日は私なりに考えまして「当事者から見た統一問題および朝鮮半島情勢」というテーマでお話することにします。つまり、朝鮮の統一問題と最近の朝鮮半島情勢について、その当事者であります朝鮮民族はいったいどのように考えているのか、こういうお話です。

1 朝鮮の統一問題とは

それではまず最初に、朝鮮の統一について当事者はどのように考えているのか、これについてお話します。

われわれ朝鮮民族は、五千年の歴史をもつ単一民族であることを誇りとしています。朝鮮半島は古代以来、正史に記録されているだけでも、二千年の間におよそ1,000回もの侵略を受けました。代表的なものとしまして契丹(9931019)、蒙古(1231)、日本の豊臣秀吉(159297)、清国(1636)などによる侵略があります。しかしわが朝鮮民族は、これらの国や民族にけっして同化することなく民族の単一性を守ってきました。

現在、朝鮮半島は南北に分断されていますが、これは朝鮮民族が自分の意思で分かれたのではありません。外部勢力によって一つの国と民族が無理やり二つに分断されたのであり、そのような状態がおよそ半世紀以上、60年近くもつづいているのです。

みなさん、ある日突然日本列島が静岡県あたりを境に、日本人の意思とは関係なく分断されたら…このような想像をなさったことがおありですか?そのために家族や肉親が生き別れになり、それが元で日本人どうし血を流し合うことになったら…。これは想像でも仮説でもなく、隣の朝鮮半島で現実となっているのです。

それでは、朝鮮がこのように分断された責任はだれにあるのでしょうか?先ほどお話しましたが、朝鮮民族の意思とは関係なく分断されたわけですから、われわれに責任はありません。一番の責任はアメリカにあります。そして、根元的には日本に責任があります。

「もしも」といいますと歴史学者の方に叱られるますが、あえて三つの「もしも」をつうじて、この問題についてお話します。

もしも、朝鮮が日本の植民地にならなかったら、朝鮮半島が米ソによる戦後処理の場になることはなく、戦後処理の管轄境界線として朝鮮半島に三八度線が引かれることはありませんでした。

もしも、アメリカが解放後の朝鮮問題を当事者の朝鮮民族に任せてすみやかに撤退していたら、さらに、アメリカが朝鮮問題を国連に持ちこまなかったら、朝鮮半島の南には大韓民国が発足し、北には朝鮮民主主義人民共和国が発足して分断することはなありませんでした。

もしも、このように朝鮮が分断されなかったら、あの同族どうし血を流し合った悲惨な朝鮮戦争は起こりもせず、それによって現在のように分断状態が固定化され長期化することもありませんでした。

小泉首相は昨年平壌を訪れて、過去の植民地支配について「お詫びする」といいました。日本政府が本当に反省し謝罪するのであれば、当然この植民地支配が元で朝鮮が分断されたという事実やその責任を念頭に置くべきでしょう。

したがいまして朝鮮の統一とは、外部勢力によって強いられた分断状態を終わらせて、朝鮮民族が国土とともに元どおり一つになることです。

これは南北が争って、どちらかによって統一が成されるような勝ち負けの問題などではけっしてありません。まして思想や制度の問題などではなおさらありあません。これは朝鮮民族の自主権の問題、つまり民族問題です。ですから、これに対する外部の干渉は一切許されませんし、その判断や処理は朝鮮民族によって自主的に成されねばなりません。また、朝鮮民族の内政問題でありますから、同じ分断の被害者である朝鮮民族どうし争う必要などなく、統一は平和的に成されねばなりません。

2 朝鮮民族は今を「6.15時代」と呼んでいる

これまで朝鮮の統一とは何かについてお話しましたが、われわれはこのような視点から、2000年の歴史的な6.15共同宣言発表以後を、「6.15時代」と呼んでいます。

みなさんもご存知のように、朝鮮が分断されてから今日までの間に、統一をめざすうえでいくつかの転機がありました。代表的な出来事としまして、1972年の七・四南北共同声明の発表と1991年の南北基本合意書の発表があります。しかし、この共同声明や合意書はそれなりに重大な意義をもちながらも新たな時代として区切られるような転機にはなりませんでした。ですから、朝鮮民族は「七・四時代」あるいは「合意書時代」とは呼びませんでした。

その原因は第一に、国際政治の影響という枠を越えられない状態で七・四南北共同声明や南北基本合意書が発表されたことにありました。つまり、南北共同声明は当時のデタント・ムードの影響を少なからず受けましたし、南北合意書も当時の冷戦終結による影響を少なからず受けました。

そのために外部の、とくにアメリカの干渉や圧力によってその履行が妨げられました。これが第二の原因です。第三の原因は、それを克服するだけの力がなかったという当事者の未熟さがありました。

それでは、なぜ今を「6.15時代」というのでしょうか?

まず最初に、6.15共同宣言が単なる宣言ではなく統一の里程標であるためです。たった五項目の短い宣言文ですが、ここに示された方向へと進めば統一を達成できる、このようにわれわれは位置付けております。

まず共同宣言の前文をご覧ください。「祖国の平和的統一を願うすべての同胞の崇高な意志にしたがって」金正日国防委員長と金大中大統領が平壌で会談を行ったと記されています。この平壌会談について当時は、「北が経済的に苦しいから会談に応じた」あるいは「南北の平和的共存について話し合うために会談が行われた」などといわれました。しかし、ご覧のとおり共同宣言はこの会談が統一について話し合う場であったと、はっきりうたっております。

つぎに共同宣言の第一項は、「南北は、国の統一問題を、その主人であるわが民族どうし力を合わせて自主的に解決して行くことにした」となっています。これは統一を実現するための基本原則について明記したものです。これまでわれわれが祖国統一の三大原則と呼んできたなかの、自主と民族大団結の原則がこのように引き継がれたわけですね。

第一項に劣らず重要なのが第二項です。「南北は、国の統一のための、北側の低い段階の連邦制案と南側の連合制案の間に共通性があると認め、今後この方向で統一をめざして行くことにした」となっています。これは統一の方途に関する合意です。これまでは、朝鮮の統一はベトナムやドイツのように南北いづれかの体制で一つになる方法しかないといわれてきました。しかし分断史上はじめて、しかも南北の首脳によって、そのような統一を追求しないことを宣言しました。これによって国の統一を平和的に実現するという原則が引き継がれました。

この基本原則と統一の方途を中核としまして、第三項の人道問題と第四項の南北交流・協力の問題、第五項の対話の継続性の問題に対する合意がさらに成されています。

祖国を統一するためにはどのような基本原則にもとづき、またどのような方法で統一を実現すべきか、そのために南北がいかに交流し協力し合って行くか、それらをスムーズに行うため、いかに南北間の対話をつづけて行くかなど、統一のために提起される問題がすべてこの6.15共同宣言には含まれています。これを統一の里程標といわずに、何といえましょうか。

つぎに、われわれがなぜ今を「6.15時代」と呼んでいるかといいますと、6.15共同宣言によってこれまで想像もできなかった変化が起こったためです。

まず、南(韓国)で統一運動を行っている同胞の表現を借りますと、統一をめざすうえで「力関係の地殻変動」が起こりました。共同宣言以前は、北寄りか南寄りか、進歩が保守か、このように勢力が区分されてきました。それが共同宣言発表を契機に、この宣言を支持する人であれば思想や理念、団体所属、信仰の有無、居住地などは一切関係なく、ここ在日コリアンの社会でいいますと、総聯も民団も関係なくみなが「統一勢力」となり、一方でこの宣言に反対だという人々は「反統一勢力」と分けられるようになったのです。

つぎに、南北の関係が従来のような思想や体制の違いによる対立関係から同族の関係へと質的に変化しました。

6.15共同宣言の発表から三年がすぎましたが、その間色々な紆余曲折があったにもかかわらず、南北間では閣僚級会談をはじめ経済、軍事、赤十字などの会談がひきつづき行われています。そして、これらの会談を通じて鉄道の連結について合意が成され、南北がその工事に着手しました。道路がもはやつながりました。とくには80年代に一度だけ行われて、むしろのどの乾きが増しただけの離散家族の再会が、6.15共同宣言以後は平壌、ソウル、金剛山でひきつづき行われ、すでに8,000人を超える人々が家族や肉親との再会を果たしたばかりか、金剛山に彼らのための面会所が作られることになりました。

さらには、815日の解放記念日、615日の共同宣言発表日などの記念すべき日に際して、あるいは労働者、農民、青年学生、女性らによる南北共同の行事が平壌、ソウル、金剛山で行われています。またシドニー・オリンピックや釜山アジア大会、大邱ユニバーシアドなどでは南北の選手が共同で入場し、北の「美女応援団」が現地で人気をさらい、つい最近には南から1,000人の一般観光客が南北をつなぐ道路を通って平壌を訪れました。こんなことがかつてありましたか?このような民族交流をつうじて、人々は互いに血筋を同じくする同族であることを再確認しています。

さらに忘れてならないことは、6.15共同宣言によって総聯系の在日同胞一世の方々があれほど待ち望んできた南の故郷訪問がようやく実現しました。

わずか三年の間に絶え間なく起こったこれらの出来事が、単なる変化でしょうか?まさに新しい時代の到来といえましょう。

私がこれまで楽観的なお話ばかりしましたが、もちろん6.15共同宣言を履行するうえでさまざまな紆余曲折を経ていることも事実です。また、それによって疑問や憂慮の声も色々聞こえています。

代表的な疑問として、共同宣言の最後に記されている金正日国防委員長のソウル訪問の問題があります。北側がこの約束を守っていないということですね。ところが、当時の報道や情報を総合してみますと、そうではなかったのです。

最初にソウル訪問が日程にのぼったのは2001年の5月で、そのために南北間では同年二月から水面下で第二次南北首脳会談の準備や議題について交渉が行われていたそうです。ところが、北側は南北間で合意さえすればそれを即実行できますが、南側はアメリカの承認というものが必要です。そこで金大中政権の「太陽政策」の立案者といわれる林東源情報院長(当時)が訪米しまして、チェイニー副大統領やライス補佐官、パウエル国務長官、テネットCIA長官らと会って、いわば「うかがい」を立てたそうです。

ところがアメリカ側は、「第二次南北首脳会談では休戦ライン付近に配備されている北の兵力を後退させる問題を最優先の議題とすべきだ」、「会談の時期は米・韓首脳会談の後にすべきだ」、「金正日国防委員長の訪問・滞在地をソウルでなく済州島にすべきだ」と無理難題を押しつけたそうです。

きわめつけはその後38日にワシントンで行われた金大中・ブッシュ両大統領による韓・米首脳会談でした。実際は、ブッシュ大統領が記者団の前で、自分の父親ほども年上の金大統領を「This man(この人)」と呼ぶような、首脳会談とは名ばなりの場でしたが、そこでブッシュ大統領は、金国防委員長に対して「懐疑心を抱いている」と敵対心を露にしました。こうしてソウル会談は幻に終わったのです。

二回目にソウルでの南北首脳会談が日程にのぼりかけたのは、昨年の4月でした。さきほどお話しました南の林東源氏が大統領特使として平壌を訪れたときです。あのときソウル会談の開催に対する合意は、最終日に発表された共同報道文のなかで、南北をつなぐ鉄道を「一日も早く連結する」という表現で公開されました。

1994年の7月に金日成主席が亡くなったために南北首脳会談が幻に終わりましたが、あのとき金主席は列車に乗ってソウルへ行くことになっていたのです。ですから、北側にとりまして南北の鉄道連結というのは金主席の遺言を守ることでありますし、それは主席の遺志を継いだ金正日国防委員長によって実行されるべき重大事です。つまり、あのとき北側が鉄道連結に同意したということは、金国防委員長が列車に乗ってソウルに行く決心をしたということなのです。

ところが、5月に入るや南でショッキングな事件が起りました。金大中大統領の二人の息子が逮捕されたのです。後にこれもアメリカのさしがねと分かりましたが、この事件によって金大統領の威信が失墜しました。そのような状態で南北の首脳が会談を行ったところで、あるいはその会談で何らかの約束が交わされたところで、その意味も効果も期待できなくなってしまいました。こうして第二次南北首脳会談は、またもや幻に終わったのです。

さきほど私は、6.15共同宣言に反対しその実現を妨げる勢力を反統一勢力といいました。それはワシントンにもソウルにも、また東京にもおります。そしてこの勢力は、アメリカを頂点とする主従関係によって構成されています。

われわれは6.15共同宣言が発表されたときから、この履行が反統一勢力とのたたかいを伴うことを覚悟していました。今がまさにそのたたかいの最中なのです。そのような観点で、われわれは共同宣言発表後の紆余曲折をとらえています。

3 朝鮮半島情勢について

つぎに、最近の朝鮮半島情勢について当事者はどのように見ているのか、これについてお話したいと思います。

ひと口に朝鮮半島情勢といいましても、そこに含まれる問題は非常に膨大で複雑ですので、現在焦点となっております朝・米関係および核問題、それに朝・日関係の三点に絞ってお話しすることにします。

(1)朝・米関係について

まず朝・米関係ですが、みなさんは朝・米関係の本質をどのようにお考えですか?外交問題でしょうか?あるいは経済問題ですか?その本質は軍事問題であり政治問題です。つまり朝・米関係とは、朝鮮を分断した張本人とその分断の被害者の関係であり、停戦状態にある交戦関係です。さらには南に対する支配をつうじて現在も朝鮮の統一を妨げている張本人との関係です。われわれが撤退を主張している在韓米軍は単なる駐留軍ではなく、このようなアメリカの戦略を支える物理的存在なのです。

解放後の1947年に朝鮮半島に派遣されたアメリカの大統領特使ウェデマイアーは、その秘密報告のなかで「アメリカの全般的利益にとって大きな脅威となる、統一され独立した民主主義朝鮮が生まれないようにすることが重要である」とのべました。この秘密報告から今日まで一貫して朝鮮半島全体を自らの支配下におくことを追及しているアメリカと、それに反対して民族の自主権を守り国を統一しようとするた北との政治的および軍事的対決こそ、朝・米関係の本質です。

したがいまして朝・米関係は、戦争あるいは話し合いによる関係正常化意外に決着をつける方法がありません。

1990年代に入ってから、朝・米間では話し合いによって両国の関係を正常化しようとする動きが見られるようになりました。ところが日本のマスコミなどは、北が対米関係を正常化しようとするのは何とか経済的封鎖状態を打開して、自国の体制を維持することが目的であるかのように宣伝しています。しかしそれは違います。北にとって対米関係を正常化させることは、朝鮮の統一を妨げる根本的な要素を除去すること、つまり朝鮮民族が自主的に統一問題を解決する条件を整える問題なのです。ですから、たとえば朝・米関係が正常化すれば、いわゆる「北の脅威から韓国の安全を守るため」という在韓米軍の存在理由がなくなるのです。

(2)核問題について

つぎに核問題ですが、現在騒がれている「北の核問題」というのは正しい表現ではありません。正確には「朝鮮半島の核問題」です。そしてこれは、アメリカが南に核兵器を持ち込むことによって発生した問題です。

アメリカは朝鮮戦争停戦からわずか三年後の1957715日に、停戦協定に違反して在韓米軍の核武装着手を発表しました。そして翌年の1958129日には南(韓国)への核兵器導入を正式発表し、翌195923日にはそれを公開しました。朝鮮半島の核問題はこのようにして発生したのです。

それでは最近騒がれている「北の核問題」とは一体何でしょう?実は「核問題」というのはあくまで表面的な形でありまして、その本質は朝鮮民族の自主権の問題です。つまり、「核問題」を口実に北を武装解除させてその体制を変化させ、しいては朝鮮半島全体をアメリカの支配下におくか、これを阻止して北の体制はもちろん朝鮮民族の自主権を守るかという問題なのです。

したがいまして、かりに五〇歩百歩譲って「北の核問題」がアメリカの思いどおにに決着したとしましても、アメリカは北の体制を変化させるために別の問題を持ち出すことでしょう。そうなった場合、私はまず彼らが北の「人権問題」を持ち出すと思います。また、すでにその兆候が表れてもいます。

ですからみなさん、われわれはいわゆる「北朝鮮崩壊説」の本質をよく見る必要があります。どんな体制でも民衆に背を向けられたら一夜にして終わりであることは歴史が証明しているだけでなく、われわれもここ1020年の間に目撃してきました。しかしこの「北朝鮮崩壊説」というのは、そのような意味で騒がれているのではなく、アメリカという外部勢力が他国の主権を侵してその体制を変化させようというものです。それを許せば北の体制が変化するだけではすみません。朝鮮半島全体がまた植民地状態に陥ることになります。ですから北はもちろん、南でも「ブッシュ政権の対北政策は間違っている」といって反対しているのです。

これらの事実をつうじて、朝鮮半島の核問題は朝・米二国間の問題という結論におのずと行き着くことになります。ですから、たとえ何者によって会談を行っても、最終的にはアメリカが北に対して敵視政策の放棄と体制安全保障についてYES、あるいはNOといわないかぎり、この問題は決着がつきません。

このように本質を確認したうえで、最近のいわゆる「北の核問題」の真相に迫ってみたいと思います。

日本のマスコミなどによりますと、北が朝・米ジュネーブ合意後もウラニウムによって核兵器の開発をつづけていたと、20021017日にアメリカの国務省が声明を発表したことが発端ということになっています。

ところがそれは違います。アメリカのブッシュ政権が北を「悪の枢軸」と断定したばかりか、ロシアや中国などとともに北を「核による先制攻撃の対象」に含めることによって、北に対して「核の脅威をあたえず、核兵器を使用しない」というジュネーブ合意に違反したことこそが問題の発端なのです。「ウラニウムによる核開発」云々という問題は、アメリカのCIAですら20021122日に議会に提出したメモで「明確な証拠を確保できていない」と指摘したほどいい加減なものです。

さて、「北が核開発をやめなければ朝・米関係はもちろん、南北関係も朝・日関係もない」というアメリカと、「アメリカの度重なる敵視や核による脅威に対抗して、われわれも核兵器はもちろんそれ以上のものをもつことができる、ただちに敵視政策を中止して安全を保障すべきだ、そのためには朝・米不可侵条約を締結しよう」という北との核対決がはじまって一年が経ちました。みなさんはこの一年をどのように見ておられますか?「北朝鮮がどんどん孤立して瀬戸際外交をやっている」とお考えですか?

南北を問わず、もちろん私も含めてですが、問題を民族自主という主体的観点で見る人は、北は原則を何一つ譲歩せずにアメリカに圧力攻勢をかけつづけ、一方のアメリカは自ら引いたレッド・ラインを自ら後退あるいは修正しながら追い込まれてきた、このように今日までの経過をとらえています。私はこれについて、三つの段階に分けてお話します。

まず第一段階ですが、「北の核問題」をめぐって朝・米対決がはじまった当時、アメリカは北が核開発を放棄しないかぎり「一切対話は行わない」あるいは「対話は行っても協商はしない」といい、はては「武力行使も辞さない」といいました。そしてジュネーブ合意にもとづく北への重油供給を一方的に中断しました。ところが北は態度を軟化させるどころか、NTP(核拡散防止条約)脱退の発効、寧辺実験用黒鉛減速炉の再稼動、凍結していた平安北道の原発工事再開、使用済み核燃料棒の再処理終了およびそこから出るプルトニウムの用途変更表明などの強硬姿勢でそれに応えました。その結果、「(核問題の)平和的解決を望む」、「北を攻撃する意思はない」と姿勢を後退させたのはアメリカでした。

つぎの第二段階に入りますとアメリカは、核問題を「多国間協議によって解決すべきだ」といい出しました。そして3月には北京で朝・米・中三者会談が行われ、8月にはやはり北京で六者会談が行われました。

これについてもマスコミなどは、「結局は朝・米両者による解決を主張した北が折れた」と論評しました。しかし三者会談で中国は場所の提供と進行役を受けもっただけで実質的な話し合いは朝・米間で行われました。また六者会談も、むしろロシアの参加を主張したのは北の方で、そこでも六者会談の枠内で朝・米間が話し合いました。ですから北は原則を曲げてはいないのです。むしろアメリカが「一切話し合いは行わない」というレッド・ラインを自ら取り除いたのです。

そして現在が第三段階です。六者会談で北の代表は一括妥結方式(同時行動案)を示したにもかかわらず、アメリカの代表は手ぶらで会談に臨み、「北の核開発放棄が先決」と繰り返すばかりでした。これはブッシュ政権内部における政策的不一致が原因でしたが、北は「このような会談には興味がない」といって北京を発った後に、「核抑止力の存在」とそれを「物理的に公表する用意」を表明しました。そしてついには、ブッシュ大統領自ら「文書による安全保障」を口にせざるをえなくなったのです。

このように一年間を振り返って見ますと、北が「われわれは対話にも戦争にも備えている」、「アメリカの対話姿勢には対話で、強硬策には超強硬策で臨む」と表明してきたことが、けっして強がりや脅しではなかったことが分かります。

おそらくアメリカは、今のイラク情勢からしまして、北との摩擦を避けるために時間稼ぎをしようとしているのでしょう。ですから私は、六者会談もアメリカの時間稼ぎに利用される可能性が高いと見ております。ですが、すでに一九九〇年代の朝・米核対決で敗れ、その結果朝・米関係正常化の道を選択したアメリカに代案はありません。

(2)朝・日関係について

つぎに朝・日関係、これをわれわれがどのように見ているかについてお話したいと思います。

この問題につきましては、長くお話するつもりはありません。問題の再確認という視点で要点的にお話することにします。

さきほど朝・米関係の本質についてお話しましたが、それでは朝・日関係の本質は何でしょうか?われわれは「過去の清算とそれにもとづく朝・日両国の関係を正常化する問題」と見ています。

これはもはや、われわれの一方的な認識ではありません。昨年917日の朝・日平壌宣言の前文には、「(朝・日)両首脳は朝・日間の不幸な過去を清算し懸案事項を解決して、実のある政治・経済・文化的関係を樹立することが双方の基本的利益に合致し、地域の平和と安全にとって大きな寄与となるという共通の認識を確認した」と記されています。ですから、いまやこれは朝・日共通の認識といえます。したがいまして、われわれはこの宣言を歴史的意義のあるものと評価しておりますし、この精神に沿って両国の関係が一日も早く正常化されるべきだと考えています。

昨年平壌から戻った小泉首相は、機会あるごとに「日・朝平壌宣言にもとづいて」と強調しました。ですからわれわれは、日本側もそのように考えているものと思いました。ところが、あれから一年が過ぎた今日、両国関係はむしろそれ以前より冷え切ってしまいまして、最悪の状態にあります。

その原因は、いうまでもなく北による日本人拉致の問題にあります。しかし、あの朝・日首脳会談やそれによって発表された平壌宣言の精神に沿って朝・日関係を進めるうえで拉致の問題もありますが、同時に過去の清算も重要な課題であるはずです。ところがその後日本では、拉致問題ばかりが極大化されて国内に「北朝鮮憎し」のムードが異様にだだよっています。われわれはこれを憂慮しているのであり、「それでは約束が違うではないか」と困惑しているのです。

せっかくの機会がですので、この拉致問題についても少々お話させていただきます。

拉致という行為そのものはよくありません。これはけっして正当化できるものではなく、今後二度とあってはいけないことです。ですから、金正日国防委員長はこの問題について小泉首相に謝罪するとともに再発防止を約束し、関係者の処罰も行いました。つまり、この問題で北側は、やるべきことをきちんどやったのです。後は、さらに調査し確認する必要がある問題をどのように処理するか、被害者の現状回復などをどうするかなどの問題を、両国の関係機関などが処理して行くことです。

ところがこの一年間、日本政府や関係者の言動を見ておりますと、一時帰国した拉致被害者たちを「北朝鮮は信用できない」といって家族のもとに帰さず約束を破ったばかりか、今もただ「北朝鮮バッシング」を行うだけで、問題を解決しようというのやら、より複雑にしようというのやら、さっぱり分かりません。とくにわれわれが驚き憂慮しているのは、日本が加害者である過去の植民地支配に対する清算の問題がすっかり影をひそめてしまって、拉致という問題に限った日本側の被害者的立場が、朝・日関係のすべてであるようになってしまっていることです。

私は2002年の10月にソウルを訪れまして、南の統一運動では先駆者と呼ばれています故・文益煥牧師の未亡人・朴容吉女史と会ってお話しました。ちょうどそのころ拉致問題で日本は連日大騒ぎでした。あのとき朴女史は「もちろん拉致はいけません。二度とあってはいけないことです。ですが、これで日本が過去に植民地支配によってわれわれに被害をおよぼした罪が消えるわけではないでしょう。まして、そのために罪もない在日同胞、とくには幼い子供たちを虐待するなど、もってのほかです」と語っておられました。まさにこれです。

拉致被害者のご家族をはじめ日本の方々のなかには、「人の命の尊さに変わりはない、なのに強制連行や従軍慰安婦の犠牲と数名の日本人拉致被害者の犠牲をハカリにかけるのか」といいます。われわれはハカリにかけるつもりなどありません。朝・日平壌宣言の精神どおり、同時に解決されるべきだといっているのです。

しかし残念なことに、朝・日首脳会談の後クアランプールで再開された朝・日国交正常化交渉で日本側は、「拉致問題の解決なくして国交正常化はありえない」の一点張りでした。そのため、あの会談は国交正常化会談なのやら拉致会談なのやら、か分からなくなってしまいました。

このように拉致問題だけが意図的にクローズ・アップされることによって、もう一方の懸案であります過去の清算問題がうやむやにされ、加害者が被害者にスリ替わり、朝鮮人に対する排他的雰囲気が増徴されているわけですが、そのようななかで日本では有事法制が国会で通りました。イラクに自衛隊が派兵さらることになりました。憲法を代えるともいわれています。そのため、最初はただショックを感じ萎縮していたわれわれは、一連の「北朝鮮バッシング」は拉致問題への怒りだけではなく、このへんにも目的があったのではなかろうかと憂慮しています。

このようなときこそ、冷静になって原点に立ち戻ることが大切ではないでしょうか。われわれには朝・日平壌宣言という共通の基準があります。その基本精神に立ち戻るべきです。

4 日本のみなさんに望むこと

最後に今後の問題としまして、われわれが日本のみなさんにお願いしたいことについてお話したいと思います。

私はお話の冒頭で、朝鮮が分断した根元的な原因と責任は日本の植民地支配にあり、そのため日本政府が過去について謝罪し清算するというのであれば、当然この問題が念頭におかれるべきだとのべました。これはけっして特別なことではありません。一つは、一日も早く分断状態を終わらせて統一を実現しようとする朝鮮民族の志向や努力を正しく認識し尊重することであり、もう一つは、そのような認識にもとづいてみなさんが「日本人として何ができるか」という姿勢で朝・日関係、しいては対朝鮮半島問題に臨んでほしいということです。

そこでもっとも大事なことは、あの歴史的な6.15共同宣言について正しく認識し、これによって切り開かれた「6.15時代」に、みなさんとして正しく対処されることです。

さきほど、なぜ今を「6.15時代」と呼ぶのかというお話をしましたが、もっと簡潔にいいますと、朝鮮の統一はもはや「いつ成されるか」という未来形ではなく、現在進行形です。つまり、統一はもうはじまっているのです。

しかし日本の現状はどうでしょうか?6.15共同宣言というものがあまりにも無視されており、そのために「6.15時代」に正しく対応できていません。

余談ですが、私は6.15共同宣言発表から今日まで、南や在米・在日同胞の学者や統一運動家の方々と対談やインタビューを行ってきました。その内容は、わが平統協のホーム・ページや『統一評論』という月刊誌に掲載されています。

今年に入りまして、これをお読みになった日本のある方とお話する機会がありました。その方は比較的朝鮮半島問題に理解のある方といわれております。ところが、私の対談やインタビューの内容について「逃げている」とおっしゃったのです。どういうことかと聞いてみますと、「拉致問題に正面から取り組んでいない」、「北朝鮮の公式見解を繰り返している」というのです。

私は内心あきれてしまいました。「逃げる」もなにも、この対談やインタビューのテーマは朝・日関係ではなく、6.15共同宣言をいかに実現するかという問題です。それに、南北の首脳によって発表された共同宣言について、南や在米・在日同胞と話した内容がどうして「北朝鮮の公式見解」云々となるのでしょう?「逃げている」といわれたことよりも、6.15共同宣言に対する彼の認識がその程度であったことが残念なのです。

日本のマスコミの対応もひどいものでした。南北首脳会談が実現したときは「まるで金正日総書記のワンマンショー」だのとヤユし、6.15共同宣言後の南北和解と協力・統一ムードの高まりに対しても「カネがらみ」だの、「北の美女応援団は工作員」だのといった具合でした。とくにあきれたのは、これらのニュースを伝えるたびに南北を「両国」とわい曲しつづけたことです。すでに南北は1991年の基本合意書で、双方は国家関係ではなく、統一をめざす過程にある特殊な関係と宣言しているのですよ。これでは6.15共同宣言や「6.15時代」について、日本国民に正確に伝わるわけがありません。

さらに、昨年のワールド・カップのときもそうでしたが、朝鮮民族が和解と統一に向けて努力しているにもかかわらず、日本では相変わらず一方の南に対しては「友好」で、もう一方の北に対しては「敵視」という古い認識と対処がつづいています。

とくに憂慮にたえないのは、日本におけるこのように誤った対処がアメリカの政策に歩調を合わせる形で成されていることです。

それでは、日本として望ましい「6.15時代」への対処とはどのようなことでしょうか?

何よりも、朝鮮半島の南北関係を同族の関係としっかり認識することです。

みなさん、拉致問題を契機に日本で在日朝鮮人が迫害を受けていることに対して、北や総聯だけが憤りを感じて非難しているとお考えですか?ここに『ハンギョレ21』という南の週刊誌があります。ご覧のように、「朝鮮人殺し」、「在日同胞が恐怖におののいている」、「日本のメディアは狂った」などと題して特集を組んでいます。10月には、日本から朝鮮大学校の先生らがソウルに招かれて「日本人による在日同胞加害問題にかんする国際対策会議」が行われました。また11月には東京で二回目の会議が行われまして、そこでは例の石原発言や麻生発言などについても討議されました。このように、南でもジワジワと世論が高まっているのです。

また、最近南では反米闘争が絶え間なく行われていますが、そのなかに、かならず「ブッシュ政権の謝った対北政策に反対する」というスローガンが登場しています。

ですから、今や朝鮮民族のなかでは、対内的には「わが民族どうし」という一体感が形成され、対外的には「朝鮮民族対外部勢力」という構図が形成されているのです。もはや従来のように、「日・朝」と「日・韓」を別々にとらえる姿勢では道を誤ります。

このような視点に立って朝・日関係を見た場合、今のようにただ北を敵視して国内に排他的なムードを充満させることと、6.15共同宣言を尊重し、とくには朝・日平壌宣言に沿って関係正常化をめざすことの、どちらが日本にとってプラスでしょうか?日本の政府にも国民のみなさんにも、自主的に考えて判断していただきたい問題です。

そうしてこそ、日本が周辺から警戒されるのではなく尊敬される国となり、朝鮮民族にとって真の親しい隣人となることと思います。ご清聴ありがとうございました。

「朝鮮の統一を考える学習会」(2003.11岡山)などで行った講演内容を整理

(月刊誌『統一評論』2004年2月号掲載)